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セネガル・Badouさんとのインタビュー
Badouさんは、DIADEM(Diaspora, Development, Migrant)の全国コーディネーターであり、PAN Network of Migrant Right の西アフリカコーディネーター。
セネガルにおける政治的・経済的・社会的状況
2000年の大統領選挙で自由主義政党のセネガル民主党(PDS)から立候補した現大統領ワッドが当選した。それ以前は独立した1960年から、セネガル社会党のアブドウ・ディウフが大統領だった。社会党政権は腐敗していたので、セネガルの左翼は2000年の選挙でPDSのワッドを大統領にするための選挙をした。ワッドはもともと社会党出身。そして、現政権に左翼や労働組合の指導者の多くが参加した。しかし、1年後に憲法を策定する過程で、左翼がみんな追放された。IMF・世銀と結びついた政策をとったため、この政権の下で貧困が加速し、さまざまな問題が噴出してきた。汚職、人権侵害、電力不足、水供給の不足など。教育環境も悪い。
WSFとセネガルの社会運動
このWSFの準備過程には、REDA(アフリカにおける開発のネットワーク)、ENDA、CONGAなどの他に、ほとんど全ての社会運動団体、NGOが参加した。1年前から準備を始めたが、組織委員会には15人の専従メンバーを中心に、いくつかの専門委員会を組織して、約200人が非専従で仕事に加わった。
組織委員会では、3つの問題がある。第一に、組織委員会内部での情報交換が不足していたこと。第二に、財政的基盤が十分でなかったこと。第三には、大学の協力が得られなかったこと。政府は、公式にはWSFを歓迎すると言っていたが、裏では大学当局にあまり協力するな、施設を提供するなと圧力をかけた。その結果、授業とWSFが並行して行われるということになった。このダカール国立大学は、かつては25,000人なのに、現在の学生数は60,000人もいる。授業を受けるのに、朝5時から教室で待たなければならないほどである。
WSFがセネガルや西アフリカの社会運動に与えたインパクトは巨大である。WSFのコンセプトが、全国各地で議論されたことが一番大きなインパクトである。従来は、それぞれの団体が自分の領域に閉じこもり、相互に情報交換が少なく、視野が狭かった。しかし、セネガルの社会運動にとって、非常にダイナミックで、国内の他の団体や国際的な団体と直接つながっていった。たくさんの組織・団体が生まれた。WSFが架け橋になって、自分たちの主張を語るようになった。地域に根ざした活動をしている団体も国際的視野を持つようになった。
セネガルにおける左翼、労働組合の状況
AGPADS(アフリカの民主主義と社会主義のための汎アフリカ党)が4つに分裂していき、われわれは「オルタナティブ・セネガル」というグループを作った。残りは、PDSに入った者、野党に入った者、個人で活動する者。来年に、左翼のための全国フォーラムを開く予定。
われわれの活動分野は、貧困地域における社会運動が中心で、貧困、失業、水、より良い生活のため。いくつかのNGOなどを組織している。地方では、農民のための食料保障の活動をしている。オルタナティブ教育を都市、農村でやっている。教材作成や教員への支援を行っている。近い将来に、フランス語と英語で書かれた隔月刊の機関紙を出す予定で、ウエブサイトも作りたい。
労働組合は、2000年以前はきわめて強力で、ゼネストも行うことができた。しかし、民主党政権に多くの幹部クラスが加わったことで、労働運動は弱体化し、信頼を失った。それでも、労働組合の現場支部は非常に強く、活発に活動している。これは、こうした支部は中央の労働官僚と直接つながっていないから。現場支部の指導部は中央から任命されたのではなく、現場の労働者から選ばれているからである。労働組合の全国組織は12あり、そのうちの5つが比較的大きい。
Badouさんは、DIADEM(Diaspora, Development, Migrant)の全国コーディネーターであり、PAN Network of Migrant Right の西アフリカコーディネーター。
セネガルにおける政治的・経済的・社会的状況
2000年の大統領選挙で自由主義政党のセネガル民主党(PDS)から立候補した現大統領ワッドが当選した。それ以前は独立した1960年から、セネガル社会党のアブドウ・ディウフが大統領だった。社会党政権は腐敗していたので、セネガルの左翼は2000年の選挙でPDSのワッドを大統領にするための選挙をした。ワッドはもともと社会党出身。そして、現政権に左翼や労働組合の指導者の多くが参加した。しかし、1年後に憲法を策定する過程で、左翼がみんな追放された。IMF・世銀と結びついた政策をとったため、この政権の下で貧困が加速し、さまざまな問題が噴出してきた。汚職、人権侵害、電力不足、水供給の不足など。教育環境も悪い。
WSFとセネガルの社会運動
このWSFの準備過程には、REDA(アフリカにおける開発のネットワーク)、ENDA、CONGAなどの他に、ほとんど全ての社会運動団体、NGOが参加した。1年前から準備を始めたが、組織委員会には15人の専従メンバーを中心に、いくつかの専門委員会を組織して、約200人が非専従で仕事に加わった。
組織委員会では、3つの問題がある。第一に、組織委員会内部での情報交換が不足していたこと。第二に、財政的基盤が十分でなかったこと。第三には、大学の協力が得られなかったこと。政府は、公式にはWSFを歓迎すると言っていたが、裏では大学当局にあまり協力するな、施設を提供するなと圧力をかけた。その結果、授業とWSFが並行して行われるということになった。このダカール国立大学は、かつては25,000人なのに、現在の学生数は60,000人もいる。授業を受けるのに、朝5時から教室で待たなければならないほどである。
WSFがセネガルや西アフリカの社会運動に与えたインパクトは巨大である。WSFのコンセプトが、全国各地で議論されたことが一番大きなインパクトである。従来は、それぞれの団体が自分の領域に閉じこもり、相互に情報交換が少なく、視野が狭かった。しかし、セネガルの社会運動にとって、非常にダイナミックで、国内の他の団体や国際的な団体と直接つながっていった。たくさんの組織・団体が生まれた。WSFが架け橋になって、自分たちの主張を語るようになった。地域に根ざした活動をしている団体も国際的視野を持つようになった。
セネガルにおける左翼、労働組合の状況
AGPADS(アフリカの民主主義と社会主義のための汎アフリカ党)が4つに分裂していき、われわれは「オルタナティブ・セネガル」というグループを作った。残りは、PDSに入った者、野党に入った者、個人で活動する者。来年に、左翼のための全国フォーラムを開く予定。
われわれの活動分野は、貧困地域における社会運動が中心で、貧困、失業、水、より良い生活のため。いくつかのNGOなどを組織している。地方では、農民のための食料保障の活動をしている。オルタナティブ教育を都市、農村でやっている。教材作成や教員への支援を行っている。近い将来に、フランス語と英語で書かれた隔月刊の機関紙を出す予定で、ウエブサイトも作りたい。
労働組合は、2000年以前はきわめて強力で、ゼネストも行うことができた。しかし、民主党政権に多くの幹部クラスが加わったことで、労働運動は弱体化し、信頼を失った。それでも、労働組合の現場支部は非常に強く、活発に活動している。これは、こうした支部は中央の労働官僚と直接つながっていないから。現場支部の指導部は中央から任命されたのではなく、現場の労働者から選ばれているからである。労働組合の全国組織は12あり、そのうちの5つが比較的大きい。
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