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WSF2011ダカール発の情報を発信します
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WSF4日目

2月9日はWSF4日目となります。参加しているATTACのメンバーもさすがに少し疲れがたまってきています。私も、前日夜の打ち合わせの後、すぐに寝たのですが、今朝は寝過ごしてしまい、8時半前に朝食中のメンバーからモーニングコールを受けるまで、完全に寝入ってしまいました。今日はまず、セネガルの社会運動家とのインタビューを予定していたので、あわてて飛び起き、急いで身支度をして食堂で朝食をとり、タクシーに飛び乗りました。メンバーの半数は、ゴレ島訪問に行きました。そのレポートは、またアップされると思います。

9時過ぎに会場に着いてみると、まだ閑散としていて、ブースも準備ができていないところが結構ありました。プログラムを持っている人が多かったので、早速本部まで行くと、すぐにプログラムを入手できました。「今日は仕事が速いなあ」と思ってプログラムを手にすると、昨日までに比べてやたらと薄いのです。中身をみると、午前中のワークショップしか載っておらず、しかもワークショップの情報が昨日までのフランス語・英語・スペイン語が併記されたものから、一つの言語のみ(おそらく、ワークショップを登録した時の言語だけ)で印刷されていました。編集・印刷作業が間に合わないのか、できるだけ簡略化して、1日に何回か発行しようということでしょう。午後に入ると、午後バージョンが発行されていましたので。会場では、エジプト民衆との連帯を訴えるパフォーマンスが今日も行われていました(写真)

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会場のUCADⅡ入り口で待ち合わせをして、セネガルのBadouさんにインタビューをしました。場所は、セネガルのCLVFというNGO(女性と子どもに対する暴力に反対する活動をしているそうです)のブースです。私と福島さんの二人で、セネガルの状況、WSFとセネガルの社会運動などについて質問し、英語で答えてもらいました。その内容は、別のレポートで紹介します。

昨日までのレポートで書き忘れていましたが、セネガル人(少なくともダカール大学の学生を見ていると)は背が高い人が多いような気がします。2Mを超す身長のバスケット選手を留学生として呼んできて、チームに入れて強豪になった日本の高校があったことを思い出しました。

これまでのレポートで、会場の大学では授業とWSFが同時並行で行われていると書きましたが、その理由がわかりました。それは、大学当局がWSF開催に協力的でないから、だそうです。セネガルのBadouさんによれば、セネガル政府は公式的には、WSFを歓迎するという立場なのですが、裏では大学当局に圧力をかけて、施設の利用などで大きな便宜を図らないようにしていたのです。そのために、学生たちもWSFへの参加に消極的とのことでした。ダカール国立大学の教育環境の悪さは想像以上で、以前は25,000人だったのが、現在は60,000人がいて、午前5時頃から教室で座席を確保しなければならないほどだということです。今日も、教育条件の改善を訴える学生たちのパフォーマンスがありました(写真)。

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昼食(今日もチェブジェンです)のあと、韓国のNGOが主催するワークショップに参加しました。ワークショップの会場不足はひどく(これも大学当局の非協力姿勢のため?)、自らのブースにイスを持ち込んでの開催でした。当然のこと狭いので、10数人で一杯になります(写真)。他にも、自らのブースでワークショップをやっていた団体があり、苦労しながらも何とか情報発信していこうという積極的な姿勢には好感が持てました。

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いつもは韓国民主労総(KCTU)が代表団を送り込んでいるのですが、今回は彼らだけだそうです。スピーカーはハングル、あるいは英語でしゃべり、フランス語に通訳するスタイルでした。置かれているスピーチ原稿を読むと、民主労働党内の「親北朝鮮派」のようです。アフリカの活動家にとっては、朝鮮再統一問題は初めて聞く問題なのか、質問が途絶えることなく出されていて、スピーカーはハングルで答え、若い女性の通訳が的確に(多分)フランス語に直していました。私にはちんぷんかんぷんだったので、終わってから、どんな質問が出たのか、メンバーに聞いてみると、「韓国は繁栄しているのに、どうして再統一しようとするのか」など素朴な質問だったとのこと。

16時から、ダーバン(南アフリカ)でのCOP17(今年11月〜12月)に向けてのワークショップで、ナオミ・クラインが発言するというので、会場に行きました。さすがに彼女の人気はすごく、テントの中は超満員で外にも人があふれています。ただ、参加者のほとんどは白人でした(写真)。残念ながら、ナオミ・クラインのアメリカ英語が聞き取りにくく、内容の10%程度しか理解できませんでした。

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その後、ATTACの国際ミーティングが行われ、特に西アフリカからの参加者が目立ちました。

寺本 勉(ATTAC関西グループ)
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WSF3日目。今日と明日(9日)は、各グループによる独自のワークショップが展開される予定です。今回のWSFでは、組織委員会のWS主催する大規模なカンファランスは行われていません。あくまでオープンスペースを提供することに徹しているようです。ただ、私がまわった限りでは、映画上映のスペースはありましたが、音楽、踊りなどの文化行事がないように思えました。それが、今回のWSFをやや地味目にしている感は否めません。

昨日のレポートで、会場がいつもより狭いのではないか、と感想を書きましたが訂正します。昨日は、会場地図がプログラムに載っていないのと会場内にも地図の掲示がなかったので、自分たちのいるところだけが会場と思い込んでいましたが、実はキャンパスのあちこちにテントが張られていたり、教室を使ったりして、大学構内の数ヶ所に分散していたのです(写真)。

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今日(8日)は、残念ながら、参加しようと思っていたワークショップが二つともキャンセルされたり(と聞いたのですが、実は行われていた)、延期されたりで、きちんとワークショップに参加できませんでした。もちろん、セミナーやワークショップの場所が変更されたり、キャンセルされたりは、WSFがオープンスペースを提供するというスタンスをとる限り、ある程度避けられないことではあります。実際、日本にいる時の感覚を持ち込むと、怒ってばかりしなければならず、「郷に入っては郷に従え」で現地のペースにあわせるしかないのですが、今回はちょっと・・・かも。

授業が並行して行われている関係で、予定されていた教室が授業で使われていたため、ワークショップがキャンセルされたり、直前まで開催場所がわからなかったりで、参加者の混乱を招いていました。プログラムは、毎日その日の予定を掲載したものが配布されることになっていて、今までのように分厚い辞書のようなプログラムを毎日持ち運ぶ手間は省けたのですが、朝の段階ではほんのわずかしか印刷できておらず、入手できるかどうかは運任せ。夕方になってようやくボランティアの手によって、会場内で配布される始末です。この段階では、お土産としての価値しかないので、逆にプログラムが余ってしまうのではないかと心配してしまいます。

ここで、会場について、もう少し詳しく説明しておきます。UCADⅡというキャンパスがメイン会場で、それ以外にいくつかの学部の教室やその周辺に立てられたテントがサブ会場のようになっています。メイン会場のUCADⅡにも、ワークショップ用のテントや各グループのブース用のテントが立ち並んでいます(写真)。

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それ以外に、食事をするフードコートがあり、セネガル料理やサンドイッチ(フランスパンに肉や野菜を挟み込む)、飲み物などが売られています。今日の昼食は、チェブジェンという油で炒めて味をつけた、日本の炊き込みご飯を油っぽくしたようなライスの上に、ダイコンやニンジン、ナスビ(?)などの野菜や魚を煮込んだものがトッピングされた料理を食べました。結構おいしかったです(写真)。

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ブースには、NGOなど各グループのパンフレットが置かれていたり、自分たちが作った手作り製品を並べたり、さまざまです。興味を持って寄ってくれた参加者への宣伝も、ブースの大きな役割です。また、その団体から来ている日々との連絡場所としても使われていました。ATTACのブース(写真)も、各国のメンバーの立ち寄り場所として重宝していました。

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ATTACの隣りは、中国の対外交流協会のブースでしたが、初日の午前中だけでメンバーがいなくなってしまい、アフリカのおばちゃんたちの休憩場所に「占領」されてしまっていました。中には、生魚を売っているブースもあり、びっくり!(写真)

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7日は、WSF恒例の会場内マーチがなく、ちょっと淋しかったのですが、今日は「エジプト民衆連帯」マーチや地元の太鼓マーチなどがにぎやかに展開され、少しWSFらしくなってきています。もう一つ私が目撃したのは、セネガルの学生による「教育環境改善」を求める(?)デモです。そんなに人数は多くありませんでしたが、掛け声を掛けあって元気よく歩いていました(写真)。

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午前中には、スーザン・ジョージやボリビア国連大使などがスピーカーをつとめたワークショップがあり、日本からも何人か参加していたので、別に報告があると思います。午後に遅れて始まったジュビリーサウスとCADTMのワークショップのあと、パキスタンからの参加者と話をする機会があったのですが、彼は昨年秋にAPEC対抗フォーラムで来日したブシュラ・カリクさんのパートナーでした(!)。

夜は、日本人留学生のGさんに案内していただいて、韓国料理店で焼き肉に舌鼓を打ちました(写真)。ダカールでの学生生活など、興味深い話を聞くことができ、有意義な夕食会でした。ダカール国立大学の学生数は3万人を超えていて、教室不足が深刻だそうです。授業の始まる1時間も前から座席の確保のために並ぶ学生もいて、そうした劣悪な教育環境が前述のデモに反映しているのでしょう。学生寮も、1室に2つの粗末なベッドがあるだけで机もない状況とのことでした。学生たちの経済状況はさまざまですが、奨学金を切り詰めて生活し、残ったお金を家族に送金する学生も少ないとのこと。

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明日(9日)は、奴隷貿易の中継基地だったことで有名な世界遺産のゴレ島に行くか、セネガルの活動家から話を聞くか、二者択一で悩んでいるところです。

寺本 勉(ATTAC関西グループ)
オープニングマーチのレポート続編です。
前編はこちら

マーチは、出発地点からしばらく歩くと、右折して下町の雰囲気を感じさせる通りを西へ向かいました。ATTACの前には、すでに詳記した西アフリカ社会運動キャラバン隊の人々が行進していました。日本から参加したNO−voxの人たちもこのキャラバン隊に合流して、マーチに参加したようです。その中の一人Sさんに聞くと、途中経由したパリでエジプト民衆連帯の大規模なデモ(2月5日に実施された)に参加してきたとのこと、ATTACフランスやNPA(反資本主義新党)も参加していたそうです。

マーチが通り過ぎていくのを沿道の多くの人々が注視していました。ほとんど切れ目なく人々が連なってマーチを見ています。子どもたちの数も多く、隊列からの音楽に合わせて、自然に体を動かしています。歩道沿いに多くの露店が店を並べていましたが、日曜日のためか店を開けているところはありません(写真)。アフリカでは、基本的に日曜日は商店やレストランが休みだそうです。実際、ホテルの周辺でも、店を開けているのはほんの一部でした。

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しかし、歩いていても、日差しの強さにはびっくりします。温度はそれほど高くはないのですが、とにかく太陽光線がじりじりと肌を焼いてくる感じで、足取りもだんだん重く・・。ここで水を持ってこなかったことを激しく後悔しました。やはり水分補給は大事です。

マーチの解散地点は、WSF会場の大学構内です。だんだん周りに人が少なくなってきたかと思うと、大学構内に入っていました。立ち並ぶ学生寮からは、学生たちがしきりに手を振ったり、歓声を挙げたりします。ゲバラの旗を持っているマーチ参加者を見つけると、「ゲバラ!ゲバラ!」の大合唱。アフリカでも、ゲバラの人気は不滅のようです。解散地点では、足が棒のようになっていて、日頃の運動不足を痛感しました。地元の参加者は、最後まで元気にスローガンを叫んでいましたが。

ホテルに帰っての夕食時のビールが美味しかったこと!ホテルにビールはおいていないのですが、従業員の男性がバイクで買いに行ってくれました。おなじみの「Flag」ビールです。夕食後は、私の部屋のゲストルームで、日本から持ち込んだ黒糖焼酎と南アフリカ在住のFさんが持ってきてくれたケープタウンワインで、しばしの交流会となりました。
7日夜は、ATTACのイベント兼パーティーが開かれ、会場から徒歩で約45分の文化センターまで行きました。予定時刻の7時から約1時間遅れで始まったイベントには、各国のATTACメンバーを中心に100名以上が集まりました。ATTACフランスとATTACトーゴの仲間が司会で、まず各国の取り組みを紹介しあいました。ほとんどがフランス語で進行し、英語の通訳がドイツなどヨーロッパの一部に対して、スペイン語の通訳がラテンアメリカに対して行われていました。日本からは、No−voxの稲葉さん、園さんも合流し、稲葉さんに日本語への通訳をしていただいたので、内容がよくわかりました。

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各国からの報告は以下の通りです。

ブルキナファソ〜11名が参加。新植民地主義に対するオルタナティブが課題。

モロッコ〜各地に17のグループがある。債務の問題を広げていく活動。

ベナン〜最近起こった洪水に対して、人災ということで取り組んでいる。

ギニア〜若者と女性が多いことが特徴。

セネガル〜結成されたばかり。すでに100人ほどのメンバーが集まっている。

トーゴ〜2004年結成。集会や文化活動などにとりくんでいる。農民に対する教育活動に力を入れている。ATTACを「地方分権」型の組織にしていきたい。社会フォーラムに取り組もうと考えている。

アルゼンチン〜ラテンアメリカでは、さまざまな希望のもてる意見の交換が行われている。ベネズエラやエクアドルのような従来とは違った道を歩む国が現れた。債務や自由貿易に反対する活動をCADTMと一緒にやっている。

日本〜秋本さんが日本語で報告し、稲葉さんがフランス語に通訳。

スペイン〜世界中のATTACと会えたこと、特にモーリタニアのATTACに会えたことが嬉しい。銀行の民営化に反対するキャンペーン、国営化を求めるキャンペーンをやっていて、かなりの支持を得ている。ラテンアメリカのATTACとも共同でいろんなことをやっている。

ドイツ〜結成から11年で、25,000人の会員。労働組合と同じくらいの影響力。ヨーロッパレベルでもさまざまなとりくみ。南ドイツで8月14日にフォーラム開催の予定。

ノルウエー〜ノルウエーで社会フォーラムを開き、1,500人の参加。教育と医療の民営化に反対する活動を中心に。

そして、報告の最後に大きな拍手に迎えられて、チュニジアの代表がマイクを握りました。

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彼は、「11年半前にATTACを結成。独裁政権下で厳しい活動を続けてきた。生き残るだけでなく、独裁者を追放することに成功した。」と述べ、参加者に「革命戦争の中で倒れた200名のために、1分間の黙とうをしましょう」と呼びかけ、全員が立ち上がって革命の犠牲者に対して黙とうしました。さらに「ATTACチュニジアも大きな役割を果たし、何名も逮捕されたが、民衆の決起で釈放された。ATTACが言っていたもう一つの世界は不可能だと思っていたが、1月14日以降はもう一つの世界が可能だとわかった。エジプトでも、他の国でも起こっている。チュニジアは資本主義の優等生だと言われていたが、民主主義的な国家をこれから作っていこうとしている。しかし、世銀やIMFが国を牛耳ろうとしている。昨日、与党が解散した。世銀やIMFにも出ていって欲しい。世界資本に支配されないようにすることを約束する。」と生々しいチュニジア革命の状況を伝えると、会場からは全員が立ち上がって、大きな拍手がしばらく鳴り止みませんでした。(attacチュニジア関連の情報1情報2

続いて、パーティーに移り、飲み物を手に、国を超えた交流が会場のあちこちに。こういう時には、本当に言葉の壁を感じます。特に、英語が圧倒的少数派であるATTACの運動の中では、フランス語を知らないことが大きなハンディになるのです。

明日も、ATTAC関連のワークショップを中心に参加しようと思っていますが、韓国のワークショップにも魅力を感じています。多分、英語中心の数少ないワークショップでもあるし。

寺本 勉(アタック関西グループ)
独立50周年=アフリカにおける新植民地主義の50年!

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主催は、CADTM Afrique – Survie – ATTAC Afriqueの3団体。

〔CADTM Afriqueはダカールに向けてキャラバンを行ってきた〕

スピーカーの発言(要旨)を紹介します。

Jean Mpelé (CADTM)
コンゴ出身。ベルギー在住。
50年の歴史は資本主義のシステムの中で行われた。脱植民地化は、まだ終わっていない。アメリカの基地がアフリカにはたくさんあり、イギリスも使っている。新植民地主義は、交渉を重ねて作ってきたものだ。世界で起きていることはアフリカでも起きている。日々の生活の中から、民衆の関係性を作り出さなければならない。

Fabrice Tarrit (Survie France)
フランスはアフリカ独立50年の祝賀式典をおこなったが、アフリカでのフランス基地の存在や通貨がユーロと連動していることが、新植民地主義の象徴となっている。中央アフリカ銀行とフランスは金融の面でもつながっている。その関係によって、フランスが西アフリカを支配している。チュニジアに関するフランス政府の「安定している」という分析は間違っていた。フランス企業は西アフリカで大きな利益をあげている。フランスはまだアフリカを必要としている。

Aziz Maaras (ATTAC Maroc)
モロッコは、独立以降もフランスへの政治的、経済的従属にあり、体制もフランスと結びつくことで体制の維持を図っている。水供給の管理もフランス企業がやっているが、ヨーロッパで禁止されている化学薬品を使っている。重債務国となっていて、国内産業が衰退している。経済はヨーロッパへの輸出によって支えられている。ヨーロッパへの出稼ぎも盛ん。経済の40%は地下経済化していて、税金の不公平が大きくなっている。政府は社会保障をカットしていて、貧困化が進んでいる。独立前は鉄砲で支配されていたが、独立後は直接投資によって支配されている。

Fathi Chamki (RAID/ATTAC/CADTM Tunisie)
主権の確立が重要。人々は主権を取り戻すために、革命的運動を行ってきた。1月14日に独裁者を追放したあと、15日に世銀がやってきて、債務の支払いを迫った。世銀は現体制を支えるためにやってきた。民主的な革命運動をやっている人々でさえ、もう一つのチュニジアは不可能だという人があるが、私は可能だと思う。zsチュニジアで生起しているのは、まさに革命的運動であり、それはまだ続いている。もう一つの世界は可能だ、もう一つのチュニジアは可能だ、ということを示した闘いである。

会場からの発言

マリ(女性)「マリはすべてが民営化されている」

マダガスタル(女性)「昨年、政治危機が進行した。しかし、エリート層やメディアは現体制の維持に利益を感じて行動している。民衆が、問題は政治的なのだということを認識する必要がある」

セネガル(男性)「西アフリカではインフラの問題がある。空港へ向かうハイウエーが作られたが、車を持っている人はごく少数」

コートジボアール(?)(女性)「アフリカの国々が小さく分かれている現状では、帝国主義を利するだけで、アフリカは一つにならなければならない」

続いて、もう一度、スピーカーからの発言

Fabrice Tarrit (Survie France)
「チュニジアでも、エジプトでも、フランスは体制を支えてきた。」

Jean Mpelé (CADTM)
「アフリカはグローバリゼーションを支えてきた。統合を言う人がいたが、統合ということを考えるとき、現実から出発しなければならない。われわれはアフリカ人ではあっても、同じ状況を持っている訳ではない。分断されている。AUの開発政策はワシントンの引き写し。しかし、資本主義的システムのなかでは脱植民地化はありえない。資本主義は少数者のためのものだから。ガバナンスについて、世銀やIMFはわれわれに教えようとするが、それは現在のシステムが良いものだということを前提にしている。その中でのグッド・ガバナンスということは意味をなさない。」

Fathi Chamki (RAID/ATTAC/CADTM Tunisie)
「債務は独裁政権によって作られたもの。債務取り消しは大きな課題であり、私は今日から債務取り消しキャンペーンを始めることを宣言する。」


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7日は、「Day of Africa and Diasporas」ということで、アフリカに関するワークショップやイベントが開かれることになっています。私は、茂住さんと一緒に、ノボテルホテルへ。梅田章二さんらのグループと合流するためです。茂住さんがセネガルの状況についてレクチャーを頼まれていたので、それに同行しました。ノボテルホテルは、港の近くにあり、そこまではハイウエーを飛ばした後、市街地に入ると急に砂利道に入ります。ハイウエーは膨大な費用を投じて、現大統領が建設したのですが、その入り口付近では車に混じって馬車が堂々と通っていました(写真)。途中では、派手なクラッシュの跡があり、しかも横断歩道がなく(所々に歩道橋はありますが、あまり使われていません)、車の合間を縫って人々が横断するため、さぞかし事故が多いだろうなとつい心配してしまいます。

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梅田さんらとバスで大学へ。会場に着いても、相変わらずプログラムはまだ印刷できておらず、ATTAC関連のワークショップの場所を探して、学生やボランティアスタッフに尋ねて回りましたが、結局わからずじまい。キャンセルされたと聞いたハイチ関連のワークショップも実際には開かれていたりとやはり混乱状態なのも、WSFらしいと言えば「らしい」です。結局のところ、屋外のテントの中でCADTMやアタックの関係するワークショップが開かれることになり、教室を捜し回ったのは一体なんだったのか、という感じですが、ここで怒り出すとWSFには参加できないことを今までに骨身にしみているので、黙って参加しました。

ワークショップ「アフリカでの新植民地主義の50年」については、別レポートでアップする予定です。大学では、普通に講義が行われており(写真)、会場は学生たちと参加者が入り混じった状態でした。プログラムは、昼過ぎにゲットしました(写真)。

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会場についての感想です。

*プログラムに地図がなく、どこに行けばいいのか、よくわからない。
*なぜか会場の中にラクダがいた(写真)。
*今まで参加したWSFの中では、一番コンパクトな会場で、ブースの数や食事スペースの和も少なかった。
*会場に入る際の警備は一切なく、主催者による統制めいたものが感じられなかった。

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会場で、ダカール大学に留学している唯一の日本人学生に出会いました。10ヶ月の予定でフランス語の勉強に来ているそうで、学生寮ではなくホームステイしているとのことでした。

東アジアからの参加者は、日本の他には、韓国、中国、フィリピン、インドネシア、ベトナムなどだったと思います。中国は、完全に政府系NGOで、ベトナムもおそらく政府系NGOでしょう。韓国からは、民主労働党のシンクタンクが参加し、8日にワークショップを行うとのことで、なぜかフランスのカッセンがスピーカーとして名前が挙がっていました。

寺本 勉(ATTAC関西グループ)

WSF TVサイトより

6日はいよいよWSFダカールの初日です。午後からオープニングマーチが行われました。

ホテルの食堂で朝食。パンが3種類に、コーヒー、紅茶、オレンジジュースというシンプルなメニューです。朝食の後、簡単なミーティングで今日の行動予定を確認。とりあえずWSF会場であるダカール国立大学で、参加登録を済ますことにしました。

ホテルにタクシーを呼んでもらい、値段の交渉もしてもらいました。セネガルのタクシーには2種類あるようで、普通のタクシーと乗り合いタクシーです。普通のタクシーは、車体の色が黄色もしくは黄色と黒に塗られていてすぐにわかります。ただ、全く料金メーターがついていないため、値段はすべて交渉で決まります。結局、会場まで1500シェーファーフラン(約300円)で行くことになりました。この値段交渉は、売り手市場か、買い手市場かによって、全然変わってきます。実際、マーチの帰りは、タクシーをつかまえようとするマーチ参加者が一杯いたため、倍の3000シェーファー支払うことになりました。


会場のダカール国立大学は、正式名称を「シェイク・アンタ・ジョップ大学」といい、セネガルのみならず西アフリカでも有数の大学で、大学構内には多くの学生寮があり、西アフリカ全域から学生が集まっているそうです。広大なキャンパスには、数多くの建物があり、そのうちの一つで登録が行われていました。私たちも行列に並びました(写真)。

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ボランティアスタッフが、コンピュータを前にして行列を作った参加者の登録作業に奮闘していましたが、ポルトアレグレやベレンに比べると、コンピュータの数も少なく、明日以降は結構混雑が予想されます(写真)。

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登録が終了すると、青いバッグと参加証がもらえます(写真)。登録料は、私たちはATTACとしての団体登録は8人で195ユーロ、つまり一人当たり約25ユーロ(約4000円)、アフリカからの参加者は個人が5ユーロ、セネガルの参加者は団体が2ユーロ、学生・青年が0.5ユーロ、一般市民は0.25ユーロ(約40円)となっていました。この差のつけ方は、WSFナイロビの教訓から学んだものでしょうか。

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オープニングマーチの主発地点は、市街地のグランドモスクの近くで、RTS(放送局)前の道路です。この周辺は、警察の機動隊(写真)が出て、車が通らないように車道を封鎖していました。私たちは、12時過ぎにはグランドモスク前に到着し、各国のATTACの人たちと合流しました。

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デモの出発時刻については、13時とか、14時とか、いろんな情報が事前に流れていたのですが(大学の登録場所には、13時というアナウンスが、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、英語の4カ国語で張り出されていました。英語が一番下というあたりが、WSFでの英語圏の占める位置を象徴していますね)、結局14時だったようです。こういう流れで、ランチを食べ損ねてしまい、かつ空港で両替してもらった現地通貨が高額紙幣(といっても、10,000シェーファーフランですから、2,000円くらいですが)だったので、水を買うこともできず(露店ではお釣りの持ち合わせがないから)、これが大失敗でした。

出発地点には、12時半頃から続々とマーチ参加者が集まってきます。早速太鼓がたたかれ、アフリカのリズムがあたりを圧倒していきました(写真)。

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揃いのTシャツを着たボランティアの若者が並んで参加者を整理しています。見るところ、ボランティアには2種類あるようで、会場で登録の仕事をしていた若者は黄色のTシャツを、警備の若者は黒のTシャツを着ていました(写真)。それぞれの主張を書いた横断幕を先頭にまとまって来る団体もあれば、思い思いに参加してくる人々もいます。それにしても暑い。日差しが強い。帽子を持ってこなかったことを後悔しつつ、タオルを頭に巻いてちょっとでも日差しを避けることにしました。

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モロッコのテレビ局らしい人から、インタビューを受けました。「はるか遠い日本から、なぜWSFに参加しているのか」「経済状態が悪いが、どうすれば脱却できると思うか」など聞かれました(写真)。どうも日本から来たということが珍しいらしく、一緒にいたATTACメンバーも何回かインタビューに応じていました。

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いよいよマーチに出発。RTS前から大学まで、約2時間です。ATTACは、ヨーロッパやアフリカを中心に、約100名が%旗や横幕を手にして、先頭近くを歩きました(写真)。先住民の踊りも沿道の各地で見られました(写真)。

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会場への出発の時間が迫ってきたので、とりあえずここまでアップします。

7日は、アフリカに関するワークショップに参加します。

寺本 勉(ATTAC関西グループ)

WSFおおさか連絡会の梅田章二さんのブログにも6日のオープニングデモの報告が掲載されています。
関空からドバイ経由で約27時間。ようやくたどり着いたというのがまず実感です。

ドバイ空港で、ATTACメンバーが合流し、梅田章二さんらWSFおおさか連絡会、国際法律家協会の人たちと簡単な自己紹介の場を持ちました。あわせて20名ほどで、WSFに期待するところやアフリカへの思いなどを出し合いました。これ以外にも、日本からは、私の知っている範囲で、No-vox(持たざる者)やアフリカ日本協議会、個人参加の人など5~名が参加する予定です。ダカール空港への便には、WSF関係者が大勢乗り込んでいる様子で、日本に来たことのあるジュビリーサウスのメンバーも一緒でした。ダカール空港には、出口の前にWSFの横幕が張られていました(写真)。

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ホテルからの迎えの車で、ホテルまで約10分弱。ホテル(Le Feto2)は、ダカールの市街地からは北に外れた新興住宅地(?)のようなロケーションにあり、5階建ての新しい建物でした(写真)。宿泊は、朝食付きで1泊1人35ユーロから40ユーロ程度ですが、いくつかの部屋にはゲストルームみたいな部屋がもう一つついており、日本のビジネスホテルよりも随分立派なホテルです。

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今日(5日)はとりあえずホテルで夕食をとって、明日以降に備えることにしました。夕食は、セネガル料理で、チキンにタマネギのソースみたいなのをかけてものや白身魚の唐揚げのようなものに温野菜とライスを添えたもプレートでした(写真)。4回連続の機内食にうんざりしていた私には、とても美味しく感じられました。1プレートが3500シェーファーフラン(西アフリカの共通通貨)で、日本円で約700円です。ただ、アフリカへの旅行経験が豊富で、唯一セネガルへの渡航経験者の茂住さんによると、「セネガル料理は本当はこんなものじゃない。観光客向けにアレンジされたもの」とのことでしたので、街中のレストランでの食事が楽しみになってきました。

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近くをぶらっと散歩してみると、果物を売る露店やファーストフードの店、閉まっていましたが服飾店などが点在しています。服飾店のショーウインドウには、典型的なセネガルの服装が飾られていました(写真)。

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また、国民のほとんどがイスラム教徒であるにもかかわらず、食料品店では普通にビールやウイスキーが売られていて、中東やパキスタンとは異なっています。早速ビール(ちゃんと冷蔵庫から出してくれ、冷えていた!)を買い込んで、夕食の時にのどを潤しました。ビールは、西アフリカで広く飲まれている「FLAG」というブランドです(写真)。

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6日は、いよいよオープニングマーチに参加です。

寺本 勉(ATTAC関西グループ)

 アフリカで3回目となるWSFダカール(200年ナイロビ、2006年バマコに続いて3回目)が、2月6日に始まります。

 このWSFダカールに向けて、西アフリカの各地からキャラバン隊が組織され、各国を周りながらダカールに向かっています。ATTACアフリカネットワークも参加するキャラバンは、「社会運動キャラバン」と銘打って、1月23日にベニンのコントノウを出発し、トーゴ、ブルキナファソ、マリ、セネガルへと入り、5日にダカールに到着する予定です。キャラバンの途中では、さまざまなワークショップなどを開催したり、地元のNGOなどとの討論を行ったりして、西アフリカ各国の社会運動を強化していこうという取り組みです。このキャラバン隊には、CADTMやNo−voxのアフリカネットワークなどが参加しています。(ブルキナファソで発表された宣言は別掲。)

 6日がオープニングマーチです。マーチの出発地は、WSF会場である国立ダカール大学(正式名称は、シェイク・アンタ・ジョップ大学)近くのRTS前です。RTSは、現地の人なら誰でも知っているラジオ局のようです。ATTACは、このマーチが始まる前に、各国からの参加者が集まって、ミーティングをする計画です。

 7日は「The Day of Africa and Diaspora」として、アフリカに関するイベントやワークショップが数多く開かれる予定です。ATTACも、アフリカのネットワークを中心に、CADTMなどと共催で「独立から50周年=アフリカにおける新植民地主義の50年!」というワークショップや「ルムンバからサンカラへ、アフリカ民衆にとっての真実・正義・補償」というワークショップを開催します。私たちも、このワークショップにぜひ参加しようと思っています。

 あとは、現地到着後に、レポートを送ります。

ATTAC関西グループ 寺本 勉
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