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WSF2011ダカール発の情報を発信します
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WSFダカールでビアカンペシーナなどによって議論・発信されたアピールの日本語訳が「農地は誰のものか」ブログに掲載されました。署名もできます。

◎農地収奪に反対するダカールからの要請
  全文はこちらから
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問題提起:世界社会フォーラムとアフリカ
茂住衛さん(アフリカ日本協議会会員)

特別報告:バーレーンでの民衆の闘いを取材して
西谷文和さん(フリージャーナリスト)

 2月6日から11日まで、西アフリカのダカール(セネガルの首都)で世界社会フォーラム(WSF)2011が開催されました。
 
 今回のWSFダカールは、チュニジアの独裁政権を倒した民衆決起に始まる北アフリカ・中東一体での民衆の闘いの真只中で開かれました。会場では、連日、エジプト民衆との連帯マーチが行われ、チュニジアの参加者からのアピールは大きな歓呼の声で迎えられました。まさに、WSFが掲げる「もう一つの世界は可能だ!」を現実のものとする闘いです。
 
 また、アフリカで3回目のWSFとして、アフリカにおける新植民地主義の50年を振り返る企画も多く開かれました。 報告会では、「WSFとアフリカ」という問題提起に加えて、闘いのさなかにバーレーンを訪問した特別報告をしていただきます。ぜひご参加ください。

日 時:3月22日(火)午後6時30分より
会 場:エルおおさか(京阪/地下鉄谷町線・天満橋下車、徒歩5分)
     709号室
カンパ:1000円
主 催:おおさか社会フォーラム実行委員会
連絡先:WSFおおさか連絡会(06-6942-7860梅田)
      ATTAC関西グループ(06-6474-1167喜多幡)
社会運動総会宣言
(WSFダカール、2011年2月10日)
原文

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ダカールでの世界社会フォーラム2011の社会運動総会として、われわれがここに集まったのは、人間文明の建設におけるアフリカとアフリカ人民の最初の貢献を確認するためである。全ての大陸の人民は、経済的進歩や政治的安定というを幻の約束の裏側に隠された資本の支配に反対して、力強くともに闘っている。抑圧された人民にとっての完全な脱植民地化は、われわれ、つまり世界の社会運動にとって、最も重要な挑戦であり続けている。
われわれは、真の民主主義を要求し、人民の権力を樹立するために立ち上がったチュニジア、エジプト、そしてアラブ世界の人民を支持し、彼らとの行動による連帯を確認する。彼らの闘いは、抑圧と搾取のないもう一つの世界への道を照らしている。

われわれは、主権と参加民主主義のために闘っているアイボリー・コースト、アフリカ、そして全世界の人民との連帯を強く確認する。われわれは全ての人民の自己決定権を防衛する。

WSFプロセスを通じて、社会運動総会は、資本主義、家父長制、人種差別主義、そしてあらゆる形態の差別と闘う共通の闘いと共同のアジェンダを創り出すために、多様性を通じて、われわれがともに集う場である。

われわれは世界社会フォーラムの10周年を祝う。その第1回目は2001年にポルトアレグレで開かれた。その時以来、前進、とりわけラテンアメリカにおける前進をもたらしたとりくみの共通した歴史を打ち立ててきた。ラテンアメリカにおいては、新自由主義同盟に介入することができたし、真に自然を尊重する開発のためのいくつかのオルタナティブを創出することができた。

最近10年間に、われわれはまた食糧危機、環境危機、金融経済危機へと拡大してくるとともに移民、強制立ち退き、搾取、債務水準、社会的不平等へと導いてきた制度危機の爆発を目撃してきた。

われわれは、最大利潤への不断の欲求の中で、戦争の介入政策、軍事占領、いわゆる人道使節、新たな軍事基地、自然資源の略奪、全人民の搾取そしてイデオロギー的ごまかしを続けているそのシステムにおける主役たち(銀行、多国籍企業、マスメディア、国際機関など)によって担われた役割を糾弾する。われわれはまた、彼らの利益に奉仕する社会セクターの資金提供を通してわれわれの運動に加わろうとする試みを糾弾する。そして、従属をもたらす彼らの援助方法を拒否する。

資本主義の破壊力は世界の全人民にとって、生活それ自身のあらゆる側面に影響を与える。だが毎日、われわれは、植民地主義の破壊行為を覆し、満足できる生活と尊厳を達成するために闘う、新しい運動が起こるのを目にする。われわれは、人民がもはや危機のコストを負担しないだろうし、資本主義の枠内ではこの危機からの逃げ口はないだろうということを宣言する。このことは、われわれが社会運動として団結し、資本主義に対抗するわれわれの闘いを導く共通の戦略を構築する必要性を再確認するだけである。

われわれは多国籍企業に対して闘う。なぜならば、彼らは資本主義システムを支え、生命、公共サービス、そして水、土地、種子、鉱物資源などの公共財を民営化しているからである。多国籍企業は、私企業や雇い兵との契約を通じて戦争を助長する。彼らの行動は、われわれの土地を奪い、遺伝子操作された種子と食べ物を開発し、食料に対する人民の権利を取り上げ、生物多様性を破壊して、生命と自然を危険にさらす。

われわれは、全ての人民が自分たちの生活様式を選び取る完全な主権を享受することを要求する。われわれは、地元の生産を保護し、農業労働に尊厳をあたえ、先祖代々の生活価値を保護する政策の実行を要求する。われわれは新自由主義的自由貿易協定を非難するとともに、全ての人間の移動の自由を要求する。

われわれは、南の全ての国々における公債の無条件帳消しを求めるために動員し続けるだろう。われわれはまた、北の諸国において、社会福祉国家を劣化させる不公平な政策を押し付けるために、公債を用いることを非難する。

G8とG20が会合を開く時、彼らにNO!を言うために世界中で動員を!われわれは商品ではない!われわれは売り買いされない!

われわれは、気候正義と食糧主権のために闘う。世界的な気候変動は、生産・分配・消費という資本主義システムの産物である。多国籍企業、国際金融機関、政府は、温室効果ガスを削減することを欲していない。われわれは、「緑の資本主義」を非難し、たとえばバイオ燃料、遺伝子組み換え生物、REDDのような排出量取引メカニズムといった気候危機の誤った解決法を拒否する。それらは、貧しい人民が何千年もの間生活してきた森林や地域を私有化し、商品化する一方で、進歩という誤った約束で彼らを誘惑しているからである。

われわれは、食糧主権およびコチャバンバで開催された気候変動に対する民衆サミットにおける合意を防衛する。コチャバンバでは気候危機に向き合う真のオルタナティブが世界中の社会運動や組織とともに打ち立てられた。人民と自然の権利を再主張し、不法なカンクン合意を阻止するために、南アフリカ・ダーバンのCOP17と2012年「リオ+20」の期間中に、とりわけアフリカ大陸のわれわれが結集しよう。

われわれは、持続的な農民による農業を支援する。それは食糧と気候危機に対する真の解決策であり、そこで働く全ての人々にとって土地へのアクセスを含んでいる。この理由で、われわれは土地収奪をやめさせ、農民の闘いを支援するための大衆的な動員を呼びかける。

われわれは、しばしば軍事占領された地域で引き起こされる女性に対する暴力に反対して闘うだけでなく、社会運動に参加したことで罪に問われている女性に加えられている暴力に対しても闘う。われわれは、女性が物や商品とみなされ、女性の身体や精神の主権が認められていないが故の、女性に対して行われる家庭内暴力や性暴力に反対して闘う。われわれは、女性、少女、少年の売買に反対して闘う。われわれは、世界中のあらゆるところで女性に対する暴力に反対して、ともに動員することを呼びかける。われわれは、性の多様性、ジェンダーの自己決定権を防衛し、すべての同性愛嫌悪と男女差別主義者の暴力に反対する。

われわれは、平和のために、そして戦争、植民地主義、占領、軍国主義化に反対して闘う。

帝国主義勢力は、紛争の引き金を引き、天然資源を支配・略奪し、反民主主義的なイニシアチブを支援するために軍事基地を使用する。たとえば、ホンジュラスにおけるクーデターやハイチの軍事占領で用いたように。彼らは、戦争と紛争を助長する。アフガニスタン、イラク、コンゴ民主共和国、そしてその他の多くの国々におけるように。

われわれは、人民の闘いに対する抑圧や有罪に反対する闘いを強めなければならないし、諸人民間の連帯とイニシアチブを強化しなければならない。たとえば、イスラエルに対するボイコット・投資引き上げ・制裁の世界的な運動のように。われわれの闘いはNATOにも向けられているし、全ての核兵器を禁止するためでもある。

これらの闘いのそれぞれは、コミュニケーションを民主化することなしには、われわれが進んでいけない思想闘争を含んでいる。われわれは、もう一つの種類のグローバリゼーションを打ち立てることができると断言する。それは、人民から、人民によって作られるもので、青年、女性、農民、先住民の参加が必須である

社会運動総会は、人民の解放と自己決定に参加し、資本主義に対する闘いを強化するために、全ての国から来た団体・活動家に、国際的レベルで調整された二つの主要な動員を発展させるよう呼びかける。

チュニジアとエジプトの人民に鼓舞されて、われわれは3月20日をアラブ・アフリカ人民との国際的連帯の日とするよう呼びかける。彼らの全ての前進は、全ての人民の闘い、たとえばパレスチナ人民・サハラ人民の抵抗闘争、債務と構造調整策に反対するヨーロッパ・アジア・アフリカでの動員、ラテンアメリカで現に進行している変革のプロセスを支援している。

われわれはまた、10月12日に資本主義に反対する国際行動日を呼びかける。そしてその日に、われわれは進路にあるあらゆるものを破壊しているシステムを拒否することを無数の方法で表現する。

世界の社会運動よ、資本主義システムを終わらせるために世界的な団結に向かって前進しよう!
われわれは勝利する!
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チュニジアとエジプト民衆の闘いを支援するattacの声明
原文

ダカール世界社会フォーラムに集まった世界各地のATTACは、民主制と社会正義を求めて闘ったチュジニアとエジプトの民衆への支持を表明したいと願う。民衆たちは独裁体制からの解放のために、多大な人命という代価を既に払った。彼らは目下、市民たちの、平等な社会の建設にあたりつつ、反動勢力と国際資本による彼らの成果の横取りを警戒している。他の国々でも起こり始めた民衆蜂起が示すのは、パレスチナをはじめとするアラブ圏であれ、アフリカであれ、世界のどこであれ、民衆には自分たちを抑圧から解放する力があるということだ。世界各地のATTACは、これらの闘いが万人の基本権へとつながるよう、2011年3月20日に大規模な行動を呼びかける(この日付についてはダカールに集まった社会運動団体の会議で2月10日に決定した)。

2011年2月10日
ダカール

attacドイツ
attacアルゼンチン
attacベナン
attacブルキナファソ
attacコートジボワール
attacスペイン
attacフランス
attacギニア
attac日本
attacモロッコ
attacノルウェー
attacトーゴ
attacチュニジア
ドバイで、商業や建設業などを支えているのは、出稼ぎ労働者です。ドバイ国際空港の中で働いている人々、たとえば免税店、コーヒーショップなどではフィリピン人、ドバイ市内の建設現場や清掃業、タクシー・トラックなどの運転手では、インド人、パキスタン人、バングラディシュ人、各家庭のメードにはインドネシア人など働く場所によって違いますが、とにかく外国人労働者の姿が目立ちます。アフリカ出身者も多いと聞きました。

ドバイの物価は結構高く、1か月の生活費は約1,000ディルハム(DH)、日本円で約25,000円は必要とのこと。不景気風の吹くドバイでそれ以上稼いで、故郷に仕送りするのは大変そうです。職がないまま、帰るに帰れない出稼ぎ労働者も随分いるようです。

現段階では世界一高い建造物であるブルジュ・タワー(正式名称は、ドバイショック後に資金援助をしたアブダビ国王の名を付けた「ブルジュ・ハリファ」)に行きました。さすがに高い!上ってみようかな、と入り口をのぞいてみると、「すぐに上がりたい人は400DH(約10,000円)」との掲示があり、予約券を持っている人よりも1万円払った人を優先的に入場させていました。いくらなんでも1万円は払えない!それで、奥野さんと二人でグルッと周りを1周してみました。カメラで頂上(?)まで写そうとすると、だいぶ無理な姿勢を強いられます。

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近くには、大きな人工池があり、滝のような段差を通って水が流れ込んでいました。ドバイでは、水は海水から作られると聞いていたので、貴重品である水を文字通り「湯水のように」使っている贅沢さと環境への無神経さにびっくりしました。

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もう一つのドバイ・バブルの象徴であるジュメイラ・パーム・ビーチは、ドバイ市外の中心からやや離れた海岸沿いにあります。この近くにも、高層ビルの林立する副都心(?)的な地区がありました。ジュメイラ・パーム・ビーチは、上空から見るとヤシの葉状に埋め立てられた人工リゾート地です。市街地とはモノレールで結ばれています。定期観光バスは、このリゾート地の先端にあるテーマパークまで入っていきます。

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その途中には、数多くのリゾートマンションや別荘地が広がっているのですが、あまり入居している様子がありません。ゴーストタウン化しているという話もあって、本当のところはわかりませんが、少なくとも人が溢れているという状況ではありませんでした。

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私たちは、テーマパークにある水族館に入ってみました。大阪の海遊館を見慣れている私としては、そんなに驚きではなかったのですが、初めて見た人は結構びっくりするかも知れません。ここでも中国からの観光客が目立ちました。

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駆け足で訪れたドバイでしたが、一見繁栄しているように見える高層ビル街の中で、出稼ぎ労働者とドバイ支配層との恐ろしいほどの格差、砂上の楼閣とも言えるもろさの一端を見た気がしました。夕方近くになって、ドバイの下町(本来のドバイの町だった)をバスで通り、路地裏の市場や艀でにぎわう港を見て、そこには少なくとも地元の人々の生活が垣間見え、ちょっとホッとしました。

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ダカールから帰る途中で、ドバイの乗り換えにほぼ1日弱の余裕があったので、奥野さんと一緒にドバイを見て回ることにしました。ドバイ市内の定期観光バスが出ていることがわかっていたので、それを利用することにしました。とにかく、ドバイのバブルの象徴であるブルジュ・タワーとジュメイラ・パーム・ビーチは絶対に実物を見ておきたかったのです。

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まず、バスの乗り場を探したのですが、インフォメーション・センターや空港の係員らしき人に聞いても、的確な答えが返ってきません。あちらこちらに振り回された揚げ句、ターミナル1の売店の人が、私たちの地図を見ながら、シティ・センターからバスが出ていることを教えてくれ、タクシーで何とかたどり着きました。

市内観光バス(「ビッグバス」と言ってました)のシステムは、以下の通りです。レッド、ブルーの2つのルートをオープンデッキの2階建てバスがそれぞれ20分間隔で走っています。レッドは市内中心部、ブルーは海岸沿いのルートで、それぞれ10ヶ所のポイントが決まっていて、そこで自由にバスに乗り降りできます。つまり、自分の見たいポイントでゆっくり見て回れるという訳です。

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各ポイントには、女性の係員がいて、チケットの販売や車内検札、客の案内などを行っていました。その女性たちは、全てフィリピン人でした。客の中には、夫婦が途中ではぐれてしまって、何とか連絡をとってくれと泣きつく人もいて、結構大変な仕事のようです。

私たちはまず、とあるショッピンモールの前で降りて、コーヒーとクロワッサンで朝食をとりました。このカフェは完全なフレンチスタイルで、メニューもフランス語。

カフェの入っているところを含めて、数ヶ所のショッピングモールを見て回りましたが、どうも二つのタイプがあるようです。一つは、完全に観光客や地元の富裕層目当てのところ、もう一つは出稼ぎの外国人や地元の中流階層(というのが果たしてあるのかは、リサーチが必要でしょうが)を対象としたもの。

前者には、欧米のブランドショップが並び、一見リッチな雰囲気が漂う。しかし、よく見てみると、土曜日の昼間にもかかわらず、客の姿が少ない。「**%OFF」といったセールをどの店もやっています。いわゆるドバイショックのあと不景気が続き、どの店も必死のようだ。客寄せのためか、最近開店したらしい「ドバイ・モール」の1階には吹き抜けの天井まで届く巨大な水槽があり、無数の魚が泳いでいるのです。そして、何とその水槽の下部はトンネルになっていて、その中からは上向きに魚が泳いでいる姿を眺めることができるという仕掛けに。

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後者は、中級のブランド店が多く、フードコートは完全にフィリピン方式で、何百という席の周りを20数店のテイクアウトの店が並び、お好みの料理をリーズナブルな値段で食べることができます。フィリピンやインドネシアなどから出稼ぎ労働者の他、地元の人々も大勢食べに来ていました。私たちは、久しぶりのラーメンを食べ、体がほんわか暖まる快感に浸りました。(続く)

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寺本 勉
ATTAC関西グループ

社会運動総会

10日は実質的にはWSFダカールの最終日になります。この日もタクシーで大学へと向かいました。

ダカールのタクシーは、前にも書いたように一切メーターがなく、交渉で運賃を決めなければならないのですが、運転手の生活も結構大変なようです。彼らは、車を中古で買うか、借りるかして、タクシー会社と契約し、1日1万シェーファフランの上納金をタクシー会社に納めなければなりません。その代わりに、ガソリンの供給を受けますが、タクシーの数がきわめて多いために、それほど水揚げがあるとは思えません。

公共交通機関としては、他に乗り合いタクシー、ミニバス、バスなどがあります。タクシー以外には乗ったことがないので、よくわかりませんが、短期間滞在する外国人にとってはやや敷居が高い乗り物のようです。

10日は、さまざまな活動分野別のアセンムブリーが開かれました。これは、今回のWSFダカールで議論されたことについて、分野ごとにまとめていく会合になります。私は、午前中は「G8—G20」というアセンムブリーに参加しましたが、通訳機器の不調で、英語で話を聞くことができず、早々にあきらめました。このアセンムブリーでは、ATTACフランスの共同代表がコーディネーターを務めていました(写真)。続いて、債務問題のアセンムブリーに行きました。開かれていたテントは、風の通り道になっているらしく、テントが強風であおられて、最悪の条件下でしたが、熱心な議論が行われていました。

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15時からは、社会運動総会に参加しました。UCADⅡにある講堂のような大きな階段状の部屋に1,000人位いたでしょうか。私は、今まで仕事の都合で、WSFに最初から最後まで参加したことがなかったので、社会運動総会への参加は初めてです。会場内には、各団体のバナーが所狭しと飾られ、雰囲気を盛り上げています(写真)。ATTACJapanのバナーも掲げられています(写真)。総会が始まる頃には、広い講堂も参加者であふれていました(写真)。

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会場では、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、英語の通訳が用意され、それぞれFMラジオで聴けるようになっていました(写真)。しかし、通訳ボランティアの質にばらつきがあり、英語をきちんと聞き取れなかった場合も多かったので、以下の発言内容は、あくまで私が理解した範囲内ということで、読んで下さい。

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まずセナガルの学生グループが壇上に上がり、教育にアクセスする権利や教育環境の改善を求めて、ハンガーストライキを始めたので、支援を求めたいとアピールしました(写真)。

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続いて、司会が「ルムンバ、サンカラ、フランツ・ファノンに敬意を表して」「チュニジア、エジプトの民衆と連帯して」この総会を始めると宣言し、あわせて「闘いの中で倒れた人々に黙とう」を呼びかけ、全員が起立して黙とうを捧げました。

セネガルの若いミュージシャンたちが登壇し、セネガル音楽、特にヒップ・ホップの父、ママドゥへの賛辞などを述べた後、資本主義との闘いを訴える歌詞(フランス語なので、多分そうだろうと思う)のヒップ・ホップを2曲披露し、参加者の多くも立ち上がって、手振り身振りで歌に合わせていました(写真)。

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チュニジアから来たメンバー(ATTACチュニジアの人です)が紹介されると、会場は大きな拍手に包まれました(写真)。

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彼が「闘いは今も進行中だ。独裁者は追放されたが、独裁者の背後にあるシステムを問題にしなければならない。労働者、農民、全ての民衆による民主的な政府を作らなければならない。チュニジアで起こったことは、アフリカの他の国々でも、世界中でも起こることだ。もう一つの世界は可能だ!」と述べると、会場からは大きな掛け声が響きました(写真)。また、スピーチの途中で「ムバラクが倒された!」と会場から声が上がると、大きな歓声に包まれました。実はこれは誤報だったのですが。

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続いて、社会運動総会の宣言文が読み上げられました。男性と女性がフランス語で交互に読み上げていましたが、若い男性の方はCADTMベルギーのオリビエ・ボンフォートで、彼の話は2006年のWSFカラチで聞いたことがあります。社会運動総会の宣言文は、圧倒的多数の規律によって採択されました。試訳した上でアップしたいと思います。

このあと、司会から指名された発言者、続いて会場からの発言へと移っていきました。発言者は順不同で、南アフリカ(COP17ダーバンの呼びかけだったと思います。もっと多くのコチャバンバを、という部分が印象に残りました)、ビア・カンペシーナ(発言した女性はG8の時に札幌に来ていたそうで、女性と子どもに対する暴力反対のキャンペーンについてだったと思います)、キューバ、ボリビア(国連大使のパブロさんで、コチャバンバの成果を守り、発展させるために、ボリビアはここにいる皆さん、世界中の人々の支援を必要としている、との訴え)、ブラジル、エジプト(世界中からのエジプト民衆への支援が必要、ここにいる人々、世界中の民衆がエジプト人にならなければならない、と連帯を訴えていました)、パレスチナなどから次々と発言がありました(写真)。

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セネガル・Badouさんとのインタビュー

Badouさんは、DIADEM(Diaspora, Development, Migrant)の全国コーディネーターであり、PAN Network of Migrant Right の西アフリカコーディネーター。

セネガルにおける政治的・経済的・社会的状況

2000年の大統領選挙で自由主義政党のセネガル民主党(PDS)から立候補した現大統領ワッドが当選した。それ以前は独立した1960年から、セネガル社会党のアブドウ・ディウフが大統領だった。社会党政権は腐敗していたので、セネガルの左翼は2000年の選挙でPDSのワッドを大統領にするための選挙をした。ワッドはもともと社会党出身。そして、現政権に左翼や労働組合の指導者の多くが参加した。しかし、1年後に憲法を策定する過程で、左翼がみんな追放された。IMF・世銀と結びついた政策をとったため、この政権の下で貧困が加速し、さまざまな問題が噴出してきた。汚職、人権侵害、電力不足、水供給の不足など。教育環境も悪い。

WSFとセネガルの社会運動

このWSFの準備過程には、REDA(アフリカにおける開発のネットワーク)、ENDA、CONGAなどの他に、ほとんど全ての社会運動団体、NGOが参加した。1年前から準備を始めたが、組織委員会には15人の専従メンバーを中心に、いくつかの専門委員会を組織して、約200人が非専従で仕事に加わった。

組織委員会では、3つの問題がある。第一に、組織委員会内部での情報交換が不足していたこと。第二に、財政的基盤が十分でなかったこと。第三には、大学の協力が得られなかったこと。政府は、公式にはWSFを歓迎すると言っていたが、裏では大学当局にあまり協力するな、施設を提供するなと圧力をかけた。その結果、授業とWSFが並行して行われるということになった。このダカール国立大学は、かつては25,000人なのに、現在の学生数は60,000人もいる。授業を受けるのに、朝5時から教室で待たなければならないほどである。

WSFがセネガルや西アフリカの社会運動に与えたインパクトは巨大である。WSFのコンセプトが、全国各地で議論されたことが一番大きなインパクトである。従来は、それぞれの団体が自分の領域に閉じこもり、相互に情報交換が少なく、視野が狭かった。しかし、セネガルの社会運動にとって、非常にダイナミックで、国内の他の団体や国際的な団体と直接つながっていった。たくさんの組織・団体が生まれた。WSFが架け橋になって、自分たちの主張を語るようになった。地域に根ざした活動をしている団体も国際的視野を持つようになった。

セネガルにおける左翼、労働組合の状況

AGPADS(アフリカの民主主義と社会主義のための汎アフリカ党)が4つに分裂していき、われわれは「オルタナティブ・セネガル」というグループを作った。残りは、PDSに入った者、野党に入った者、個人で活動する者。来年に、左翼のための全国フォーラムを開く予定。

われわれの活動分野は、貧困地域における社会運動が中心で、貧困、失業、水、より良い生活のため。いくつかのNGOなどを組織している。地方では、農民のための食料保障の活動をしている。オルタナティブ教育を都市、農村でやっている。教材作成や教員への支援を行っている。近い将来に、フランス語と英語で書かれた隔月刊の機関紙を出す予定で、ウエブサイトも作りたい。

労働組合は、2000年以前はきわめて強力で、ゼネストも行うことができた。しかし、民主党政権に多くの幹部クラスが加わったことで、労働運動は弱体化し、信頼を失った。それでも、労働組合の現場支部は非常に強く、活発に活動している。これは、こうした支部は中央の労働官僚と直接つながっていないから。現場支部の指導部は中央から任命されたのではなく、現場の労働者から選ばれているからである。労働組合の全国組織は12あり、そのうちの5つが比較的大きい。
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2月8日、ジュビリー・サウスに参加しているLATINDADD、ZIMCOD、そしてCADTMなどの債務問題を取り組んでいる団体は丸一日をかけて、「債務問題の取り組みと国際金融システムの転換」をテーマとしたフォーラムを開催しました。アフリカ、中南米の取り組みの報告とそれに基づいた議論が、断続的に行われました。ここでは、午後の報告と議論を紹介します。

Hugo Arias (Latindadd、エクアドル)

貧困問題は債務問題に起因するもので、北と南の政治的な関係を反映している。「富」は毎年、南から北へ数十万ドルが流れ続けている。中南米やアフリカに対する搾取を止めなければならない。中南米は債務問題が起きる前は、植民地支配との長い闘いが続いていた。不公平貿易に債務問題が加わってきた。

エクアドルの社会運動はヨーロッパと闘ってきたが、その中でジュビリー2000が作られた。その中で、債務に関する監査を行うコンセンサスが作られてきた。コレア大統領は公式に債務監査委員会を設立し、そこに市民社会、社会運動、ヨーロッパなどからもエリック・トゥサンをはじめ、ドイツや南米の各団体の人々が委員として参加することになった。こうして国際的な委員会ができて、一年ほどの作業を行った。

監査委員会は国際民間銀行を含めた金融機関による債務の監査を行い、政府の債務の80%が不公正債務であることがわかった。現在の憲法には、無債務に関する条項がある。この監査は、中南米諸国を多いに助けることになった。債務返済は政府予算の40%から18%にまで減り、インフラへの投資は以前よりも7%増加した。エクアドルでは10%以上増えている。大統領はいまも世銀/IMF、中南米銀行に対して、債務問題でたたかっている。監査が終わったら、今度はパリクラブを対象とする。ブラジル、パラグアイ、ボリビアなどでは、監査は成功したが、これは国際的な支援があったからだ。

Dakarayi Matanga (Zimcodd、ジンバブウェ)

ジンバブウェはいま、政治的な移行期にある。2010年にムガベとツバンギライの連合政府による権力共有の状態になった。そうなる前は10年以上にわたって政治危機にあった。かつてはバブル的な状況だったが、それが債務の重圧に苦しめられるようになった。
ジンバブウェの債務は三つに分類できる。一つ目は植民地時代の債務、二つ目はアパルトヘイト債務、これは南アフリカによる不安定化工作によるもので、三つ目は世銀/IMFによる構造調整策によるもの。現在の債務はこれらの複合的な性格を持っている。2010年の対外債務と国内債務をあわせた額は、歳入よりも遥かに多く、返済することは不可能だ。現在は政治的社会的経済的問題を抱えている。政府は新たにIMFから金を借りた。債務はさらに複合的になっている。
最近、ダイアモンド鉱脈が発見され、政府は世界のダイアの25%を産出しようとしている。しかし、HIPCの枠組みでは、この鉱物資源による収入は計算に含まれていない。
いずれにしても、われわれはこのような債務返済の枠組みには同意しない。
植民地時代の債務とアパルトヘイト時代の債務については、監査の対象になる。2003年には債務をリセットしたが、その結果、予算の40%を社会支出にまわすことができた。政府はIMFから130万ドルを借り、HIV/AIDSやARVに120万ドルを回している。私たちは債務返済に反対して運動している。借款することに関する法律を変えるための圧力を政府にかけようとしている。2009年に債務を担当していた政府の部署は二つになり、一つは大統領、もう一つは財務大臣になった。

ブラジル

ブラジルには債務監査に関する公式の組織がある。2000年に三つの団体が債務の監査をするために作業を開始し、不公正債務に関する文書を作った。2008年に政府はこの計画をスタートした。この文書は保守的な政治家によって作られたものだったが、何が起きていたのかを明らかにした。2010年に不公正債務についての調査を行い、12月25日に債務を終わらせるためのキャンペーンが始まった。この文書は、そのために利用されている。2000年から債務問題が、エクアドル、ブラジル、パラグアイなどで取り扱われるようになり、アルゼンチンでは議会内に委員会が設置された。
債務の帳消しは、資本主義の枠組みの中では実現しないと考えている。

Eric Toussaint (CADTM Belgique)

ギリシャでの動きについて中心に話したい。
この二年間、アメリカ、EUなどの北の国で債務が大きな問題になっている。例えば日本の債務はGDPの200%だ。アルゼンチンの債務はGDPの20%でしかなかった。北の諸国のほとんどが、債務を負っている。
ギリシャでは、公的債務は3000億億ユーロ(4000億ドル)だったが、アフリカの債務額はそれよりもはるかに少ない。ギリシャでは2010年、南の諸国のように、構造調整策が導入された。賃金がカットされ、民営化が行われ、増税され、国が投資家に開放された。構造調整策のもとでギリシャは、IMFから公務員の賃金を25%カットするように求められた。ギリシャは、エクアドルやパラグアイと同じようになった。この国はEUの中で、1967年から74年まで、アルゼンチンと同様に独裁政権下にあった。この独裁政権が債務を4倍に増やした。
ギリシャは2004年にオリンピックを行ったが、これは投資家には絶好の機会だった。1997年にオリンピックのコストは150億ドルだったのが、2004年にはその30倍の200億ドルになった。多国籍の巨大企業がこのオリンピックに投資した。例えばシーメンスが警備システムを入れたが、多くの汚職が発生した。これまでそのようなことはなかった。
ギリシャは世界で三番目に対GDP比で軍事支出の大きな国だ。武器類はドイツやフランス、アメリカから購入している。フランスやドイツの銀行がギリシャに金を貸して、それで武器を購入し、利益はフランスなどに流れている。これは不公正な債務だ。
これが、ギリシャで現在、不公正債務の監査が至る所で言われている理由だ。いまギリシャでは、エクアドルがとても有名になった。監査の方法をエクアドルから学んでいる。
しかし、なぜギリシャは監査をしないのか。人気のある社会党の国会議員が最近、党を離れた。彼女はスポーツのメダリストだが、債務監査委員会の提案文書を書いた。しかし、国会にそれを設置するのは非常に難しい。
政治家の間で汚職が広がっている。社会自由党(SLP)の議員には、シーメンスから多額の金が流れている。彼らは委員会の設置には反対している。
CADTM(第三世界債務帳消し委員会)はギリシャでは、その名称を変えないといけない。
これらの債務は、資本主義による抑圧だ。

その後、会場からの発言にうつって、ニジェール、パキスタン、セネガル、コートジボアールなどから報告などが行われました。最後に、各パネラーからまとめの発言が行われました。

ブラジル
ブラジルでは、1930年代に債務監査を行ったことがある。債務の60%を監査したが、その文書は残っていない。
債務に関する国際法廷を開く必要がある。ジュビリーサウスは以前、債務民衆法廷を開催したが、ハーグの国際裁判所に場所を移す必要がある。債務問題は、力関係によって左右される。

Eric Toussaint (CADTM Belgique)
債務返済を止めることは可能だ。エクアドルで実現した。ブラジルでは提案が行われた後の2008年、政府が債務の一部の返済をストップしている。
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今日は、ダカール港からフェリーで約20分で行ける奴隷貿易の拠点であったゴリ島を訪問した。運賃は往復で5000CFAフラン。8000CFAフランでセネガル人の英語ガイドを雇った。ガイドの弟は日本に十数年住んでいるパーカッショ二ストとのこと。このゴレ島からは南北アメリカ及び中央アメリカへ多くの西アフリカ出身の人々が奴隷として売られていったという歴史がある。

ダカールから運ばれる奴隷はゴレ島のエストレー要塞に集められ、男女別等に分類された部屋に押し込められ動物同様の扱いを受けたそうで、石でがっしりと作られた暗い部屋の跡が博物館に残されていた。ダカールは16世紀から19世紀にかけて奴隷貿易の中心であったという。私は賢い伊達男風のガイドからの流暢な説明を複雑な思いで聞いた。

島の丘には多くの砂絵画家などが制作拠点として住んでいて、オープンアトリエが集まった“芸術村”の趣。砂絵の制作過程を見せられ、オマケ割引につられて?お土産に買った。また、大きなバオバブの樹が生えており、漁業も盛んで新鮮な魚が食べられる。往復のフェリーでは寒かったが、にぎやかでかわいい小学生の一団が心をなごませてくれた。

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ゴレ島訪問後は、市内の教会や露天などが密集したサンダカ市場などを見て歩いた。時々さりげなく撮影しながら・・・。いろいろな物売りがカモである私たち日本人グループにアプローチしてきた。しかし、意外と治安は悪くないと感じた。ムスリムが多いので盗みに対するモラルの厳格さが効を奏しているのではと想像するが。

渡田正弘(グローバリゼーションを問う広島ネットワーク)
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